都市は、空間だけでできている場所ではありません。そこに集まる人々の人生や時代という有機的な時間の堆積の上に成り立っているのです。
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ここ、シバウラのまちにも港湾に面した水辺のまちならではの来歴があります。その記憶は、高層ビルの狭間で拠り所なく護岸に囲まれた運河に溶けて水底に淀んでしまったのでしょうか?あなたが想像力をもってまちを歩き、そこ此処の陰影に眼を凝らしてみれば、風景の隙間に、たゆたう波間に、潮の満ち干とともに悲しく華やかな往時の蜃気楼が幾重にも立ち現れて来るでしょう。その陰影のグラデーションが豊かで深いほど、まちは優しい。まちとは本来、そこにいる誰もを、丸ごと包容し、どんな行動も感情も受け止めてくれる大らかな器なのではないでしょうか。
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わたし達の生きる現在は、未来にとっての過去です。わたしたちは、日々、無自覚にも、この時代の時間を生き空間を形づくっているのです。未来の子ども達に誇りをもって手渡せるまちですか?わたしたちのまちの歴史を横糸に、未来を縦糸に現在を丁寧に大胆に織り進めましょう。まちと直接対話する最終スタジオです。